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「啓発すること」は、「発信すること」。これから部落差別をはじめ、あらゆる差別の問題について発信していきます。

第44回部落解放・人権西日本夏期講座

オープニング 

 城辰保育所の子どもたちによる演舞エイサーです。
     おもいをつなぐ ~金山で育ったおばあちゃんの話を聞いて~
 丸亀市立城辰保育所は、地区の保護者の切実な願いと解放運動の結果、開設された同和保育所です。
 設立時の願いを大切に受け継ぎ、子どもたちと一緒にできる人権啓発のひとつとして城辰保育所オリジナルエイサー「おもいでをつなぐ」に全幼児で取り組んでいます。〇

講演1 語り継ぐ 島の暮らしとハンセン病問題
     大島青松園自治会長/全国ハンセン病療養所入所者協議会会長 森 和男
 森さんは、1940年に徳島県で生まれ、1949年に国立療養所大島青松園に姉と二人で保健所からの入所勧奨を受け、入所する。
※大島青松園は、1907年制定の法律「癩予防に関する件」に基づき、1909年中国四国8県連合立大島療養所として開所し、その後幾度か法として改悪強化されながら療養所とは名ばかりの過酷な生活を余儀なくされてきた。
1.日本のハンセン病政策は法と医療の名のもとに実施
 日本のハンセン病政策は、1907(明治40)年の法律「癩予防に関する件」の制定に始まる。1909年、放浪する患者がいることは国の恥であるとの体面論によって、放浪患者を隔離収容するための公立療養所を全国5カ所に設立。療養所の実態は収容所。1916(大正5)年、法律の一部改正を行い、
所長に懲戒検束権を付与、裁判手続きなく処罰可能。1931(昭和6)年、法律を大幅改正し「癩予防法」を制定、全ての患者を強制隔離収容可能。
 戦後、基本的人権をうたった新憲法が制定されたが、1953(昭和28)年、改正予防法においても、旧「癩予防法」の基本理念である強制隔離政策を継続させたまま、1996(平成8)年に同法が廃止されるまで続いた。1950年代後半に開かれた2つの国際会議は日本の隔離政策の変更を決定的に求める性質のものであった。1956年開催の「ローマ会議」には日本人専門家も直接参加していた。ローマ会議では「ローマ宣言」が採択され、ハンセン病は伝染力が微弱であることを確認、差別待遇的諸立法の撤廃、在宅治療の推進、社会復帰支援などが勧奨された。1958年、東京で開催された「国際らい会議」では、強制隔離政策をしている国はその政策を全面的に破棄するように勧奨された。これら2つの国際会議の重要な指摘にもかかわらず、日本政府はその後も旧態依然とした隔離政策を維持し、人権侵害をそのまま続けてしまったことは大きな過ちであり、そのことについてのちに熊本地裁判決において政府と国会の責任が問われたのは当然である。
2.想像を絶する苦難と人権侵害
 ひとたびハンセン病患者と診断された者は、一人も漏らさず収容された(強制隔離)。収容期限も退所規定も定めず収容し、そこに閉じ込めて出すことを予定しなかった(終生隔離)。そして、患者とされたものがその中で一人残らず死に絶えるのを待った(絶滅政策)。
 戦前から戦後に継続してなされた無らい県運動によって、ハンセン病と診断された者はことごとく施設に強制収容し、終生隔離をした上に、強制作業、懲罰、断種・堕胎までも行ったことは世界に類のないことであり、非常に大きな人権侵害であった。
 療養所とは、人間としての尊厳、人間として生きること(生存権)さえ奪われ、過酷な生活を強いられ、平穏な日常生活を失われた場所であった。
 特効薬プロミンの登場によって、治療しうる病気になったにもかかわらず、国が強制隔離政策を維持し、隔離を正当化する法を制定し、放置したことであり、怠慢と言われても仕方ない。そのために国民の間に「ハンセン病の恐怖」を定着させ、患者とその家族に対する差別や偏見を助長した。
3.ハンセン病問題の現状と課題
現状
(1)入所者の高齢化と減少が顕著
(2)医師の確保が難しく医師不足は恒常化している。
医療機関としての機能維持が困難となりつつある。
課題
(1)医師不足の問題について
(2)療養所の将来構想と療養所の施設の永続化について
(3)偏見・差別解消の取り組みについて
  ハンセン病に対する差別・偏見の一掃が私たちの悲願。最近、ハンセン病問題について、少しずつ社会の関心が薄れてきている様に感じる。ハンセン病問題を単にハンセン病だけの問題にしないで、人権問題を考える上での普遍的な問題として、ハンセン病の教訓を風化させないために広く伝えていって欲しい。たまたまハンセン病をわずらった者を外観から異なる、伝染する、社会に害をなすなどの理由にして「人間として地域社会の中で共に生きる」ことを排除し、社会から抹殺した。この反省にたって、ハンセン病だけでなく、障害を持っているすべての人を地域社会の一員として迎え入れて、共に生きることを目指すことを考えていただきたい。共に生きる社会になって、はじめてハンセン病問題が解決した
といえる。
 今、療養所の入所者は1230人(大島青松園53人)平均年齢85.8才に達し、10年先の入所者は半数近くに減少し、人生の終末を迎え、残された時間も時間も少なくなっている。全療協の活動力の低下もいなめませんが、全療協運動に終わりはなく負わされた課題はますます重く、支援団体や市民と共に全療協は頑張るしかありません。これからの10年が正念場となるでしょう。

講座2 部落差別の解消をすすめる教育 ~「部落差別解消推進法」の制定を受けて~

       大阪教育大教職教育研研究センター教授  森 実 さん 
◆部落差別差別解消推進法の制定(2016・12)
 ・「部落差別」という言葉を名称に持つ画期的な法律
(1条6回、全体20回)
 ・「理念法」というよりも「第一歩法」
 ・部落差別の概念規定は同和対策審議会答申を軸に
 ・教育・啓発、相談、実態調査が主な柱
◆現代における差別事象と差別意識の特徴
ヘイトスピーチに代表される意図的・攻撃的差別
  利害の表明や心理的抑圧のはけ口などとして発生(特定の加害者がいる)
  差別チラシ→ネッ上の差別が現実社会に
*実態的差別
  社会のあり方によって発生する被差別者への不利益状況(加害者を特定しにくい)
*被差別側の思い
  差別やそれへのとりくみがあるもとで、被差別の側が抱いている。さまざまな意識
*同調的差別(みんなが差別するから私も)
  差別したいわけではないが、自分の身を守るために差別に同調してしまう意識
*関係的差別(無意図的差別)
  上のような現実のもと、人と人が出会うなかで発生するきくしゃく・すれちがい・違和感など
  不利な立場の側を傷つけ、不利益をもたらすことが多い。
★個別人権課題を通して人権教育を進める。➡ 課題を幅広い人権教育に位置づけ直す
◆現代における人権教育の課題
  *個別人権課題の学習を通して行動力を育む時代
  *「継承から創造へ」(ムリ)⇒「創造から継承へ」(やってみさせて→応援)
◆手がかりとしての望ましい人権学習の条件
 キーワード1 当事者            キーワード2 身近
 キーワード3 体験・経験          キーワード4 共有
 キーワード5 自分の考え
◆人権学習の内容と系統性
*「平等」に関する学習の内容とその系統性
「機会の平等」(小)→「特別措置」(中)→「ユニバーサルデザイン」(小・中)
 ①「機会の平等」=「生まれではなく、実力・実績や人柄で判断すべきだ」
 ②「差別と全般的不利益の悪循環」=①被差別者は生活機会を狭められやすい
        ②親・友人・自分を否定することがある
        ③社会全体がゆがみ、人材や可能性を失う
 ③「特別措置」=社会集団間で結果が同等になるよう、不利益層への支援策を打つ
 ④「ユニバーサルデザイン」=あらゆる人がアクセスできる制度と道具をつくる
*情報とうわさに関する学習とその系統性
思い込みへの気づき→事実と意見→情報の裏にある意図→ストップする自分の責任
*問題解決の力を育む学習をめざして
学習者にとって切実な問題を中核としてその経験や知識を再構成し発展させ、学習者自身の自主的な問題解決の能力を高めようとする学習方法論
◆生活を語る活動の捉え直し
*生活をつづり、かたる様々な場面
①癒しや支えを求める ←お互いの信頼関係が築かれた結果
②本当のことを知っておいてほしい ←「信頼関係を裏切りたくない、発展させたい」
③自分をとりまく社会矛盾を明らかにし、それから逃げないことを宣言する
      ←「信頼できる(したい)からこそ言いたい」
④自分を具体例として、問題を訴える
 ←人間関係や社会への見方が深まるきっかけになるように
 ⑤その他(教員が自己の体験を語る意義)     
*集団にとって生活を語る意義
 ①同級生に対する見方が変わる
 ②社会矛盾と自分たちの関りをとらえかえす
 ③お互いの弱さを見つめることからお互いを鍛えあう
*生活を語らないわけ
 ①まわりも本人も精神的に自立しているなら必ずしも語る必要はない
 ②しかし、人に話さないのは、多くの場合‥
  ・「まわりの人には解らない」「同情されるのが嫌」「負担に思われるのが嫌」
  ・「言えば、まわりの人間が離れるかも」
*生活のつづり、語る活動はプライバシーの侵害か?
 ①生活をつづり、語る活動に対しては、「プライバシーの侵害だ」という誤解がある
 ②1980年を境にプライバシー権の捉え方が大きく変わった。
   以前=個人の私的な生活に踏み込まれない権利
  以後=自分に関する情報を自分でコントロールする権利(個人情報保護法もこれ)
    ↑ 情報化が進むもとで、古い考え方だけでは生活や権利は守れない。
     より積極的にどこでどう自己開示をするのか判断し、行動する必要がある。
 ③新しいプライバシー権は能動的であり、学習が不可欠になる。
 ④情報化社会では、学校でその判断力を育てることこそ必要
  学校で学ぶ機会がなかったなら子どもたちは無防備のまま社会に出ることになる。

講演3 カミングアウトがもたらすもの ~性的少数者の経験から~

                       人類文化学者 砂川 秀樹 さん              

 砂川先生の講演を聞くのは、2回目です。資料もとても見やすく、とても分かりやすいお話でした。
★性別と社会生活
▼出生時の性別による振る舞い、表現が強く求められ、合致しない場合は、否定される。
▼毎日、様々な場面において性別で分けられる/分かれる。トイレ、着替え、お風呂、名簿、制服着用‥
▼友人関係の形成において、性別は最も大きな影響を与えている。
▼学校で出生時の性別で登録されるグループ化される。(性別分離名簿の存在)。
▼就職の際に性別が問われる。体と性自認の不一致があると就職ははるかに困難になる。
▼住宅の賃貸契約など、社会のあらゆる場面で性別が問われる。
トランスジェンダーの人は、医療にかかることがためらわれる。
性的指向と社会生活
▼常に「誰が好きか」が話題に(時に性的経験も)。それを共有することで関係性を親密にしている。
▼異性カップルは、結婚や出産を契機に家族の中で祝福されるが、同性カップルは拒絶/隠匿されがち。
▼同性愛は、猥雑なこととして忌避され、嘲笑される。
▼どんなに長くパートナー関係を継続しても、同性カップルには法的保護がない。
→ 結婚の有無が昇進にかかわる。
→ 結婚を前提としたサービスが受けられない。
→ パートナーを扶養しても、扶養家族にならない。
→ 共同で築いた財産が保護されない。
→ 看護や面会が保障されない。
★マイノリティーゆえの問題
     LGBTの困難について説明するとよく言われる言葉
       「誰にでもつらいことはある、起きる」
  
※いじめ・虐待を受けた人・差別もいっしょ。
★差別言動を無くしていく(小さいことでも日々の行動が大切)
▼未婚者へのからかい
・「なんでけっこんしないの?彼女/彼氏いないの?」
・「あの人、なかなか結婚しないけど、もしかしてこっち(手の甲を頬に充てて)じゃないの?」とうわ
さする。
▼男らしさ/女らしさの押しつけ
・「お前それでも男か!」と怒鳴る。
・(女性従業員に対して)お茶くみを強要される(しなくてはいけない雰囲気になっている)
・バレンタインに義理チョコを配らなくてはいけない(男性はホワイトデーにお返しをしなくてはいけない)
▼オネエっぽい人への蔑視
・顧客のしぐさをオネエっぽいと噂する。
・会社の宴会で女装したりオネエタレントの真似をしたりして笑いをとる。
▼LGBTに関する言動
・「あいつホモなんだって?俺、襲われちゃう」とふざける。
・「別にゲイでもいいけどさ‥まさかエイズじゃないよね?」という。
・「これだからオカマは‥」と仕事の能力的なことと結びつける。
・「うちの職場にはLGBTなんていないよね」と存在を否定する。
◆誰もが当事者であるということ
▼自分の親しい人が、マイノリティかもしれません。
 →親しいあなたともそのことを分かち合えないと思っているかもしれません。
▼社会が大きく変わるには、多数の力が必要です。
 →制度の変更には多くの人の理解が求められます。
▼嫌だという気持ちも「当事者性」の一つです。
→気持ちは、簡単に変わらないかもしれません。
→問われるのは、どういう制度や行動をとるかです。
 ←→「思ったこと言って何が悪い」と開き直り、ヘイトスピーチを許容する社会
→自分のその気持ちの背景には何があるのか考えてみませんか。

講演4 障害者のリアル×東大生のリアル

                   毎日新聞論説委員 野澤 和弘さん

 2014年から始まったのが「障害者に迫るゼミ」である。障害者や支援者を教室に招いて話を聞き、学生たちとディスカッションする。終わってからは懇親会で酒を飲みながらさらに深く話し合う。時には、ゲスト講師の生活する場や活動する場に出かけていくこともある。「五体不満足」の乙武洋匡さん、全盲聾の東大教授である福島智さん、ディスクレシアの南雲明彦さん、「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」の東田直樹さんら錚々たる顔ぶれのゲスト講師である。
 刑務所から出てきた触法障害者、風俗店で働いていた知的障害の女性、LGBTの当事者、医療ケアの必要な重度障害児のお母さんなども来てくれた。障害者運動の歴史や理念、福祉制度を学ぶわけでなく、むしろ既成の価値観で手垢の付いたものを敬遠し、現役東大生の感性と知性で「障害者のリアル」迫ってみようというのがゼミの狙いである。
 ALS(筋萎縮側索硬化症)の岡部宏生さんは人工呼吸器と胃瘻を装着して生活している人である。わずかに動く瞼と唇で母音と子音を合図し、それを介助者が一文字ずつ読み取ってコミュニケーションを取っている。学生たちは神妙な顔で岡部さんの話を聞いていた。しかし、全身動かない岡部さんは海外旅行にも出かけるし、国際会議でも意見発表もする。「アイスバケットチャレンジ」という企画で頭から氷水をかぶり、海外のロックミュージシャンと記念撮影をする。
 そんな岡部さんの活動を聞いているうち教室の雰囲気が変わっていった。懇親会にも岡部さんは付き合ってくれた。ビールやパスタを飲み食いする学生たちの近くで岡部さんは会話にじっと耳を傾けている。3時間ほど過ぎ、夜も更けたころ、1年生の男子学生が質問した。
 「僕は東京大学に入るのが人生の目標でした。それがかなってから何をしていいかわからなくなりました。岡部さんを初めは気の毒だと思っていたけど、僕たちとどちらが幸せなのかわからなくなりました。もしも、岡部さんの病気が治って自由に動けるようになったとします。ここにボタンがあり、これを押したら今の自分に戻れるとしたら、どうしますか?」
 岡部さんの瞼と唇の動きを介助者が読み取る。「絶対に押します。体が動かない不自由よりも、心の動かない不幸が私には耐えられないからです」。学生たちは押し黙ったままだ。誰も何も発することができずにいる。
 感受性の強い学生たちの心の奥深くで何かが振動しているのを感じる。すぐに答案試験に書けるようなものではないし、そのようなことを担当講師である私は求めてもいない。(君たちの心は動いているのか)。岡部さんの発する無言の問いかけに、若い感性は震えるのである。障害者のリアルが鏡のようになって映し出す(学生自身のリアル)、彼らはそれを見つめているのだ。
                         「発達障害白書2017」より
 野澤さんは、東大ゼミ担当以外に警察や検察の人に障害者のことを一番知ってもらう、地域福祉の充実のための活動もやっておられる。「多くが日本の社会の中核になっていくだろう東大生の根底の部分に人権という考えを植え付けていきたい。」その言葉がとても印象に残りました。